忙しいとは何か
現在働いているサラリーマンを含め、様々な職種の人たちのなかで「忙しくない」という人たちの方が少ないと思います。
朝から晩まで働いて、今日も忙しい一日だったと振り返る。
その「忙しい」という言葉の裏には何が隠されているのでしょうか。
忙しいという状態は、「やらなければならない」という思考で心が埋め尽くされてしまっている状態です。
例えば、朝会社に行ったら「やらなければならない」仕事が山積している。
そうすると、「今日も忙しい一日になりそうだな……」と思うようになります。
一日がはじまると、それらに追い立てられて課されたノルマを片付けに行く。
そして、一日の業務が終わったら「今日も一日忙しかったな」とため息をつく。
よく、忙しいという文字は「心を亡くす」と書かれていますが、まさに「やらなければならない」ことによって自分自身の積極的な気持ち=心が亡くなってしまうわけですね。
忙しさから逃れる手は2つある
このような、皆さんが普段感じている忙しさから逃避する手段は、大きく分けて2つあるように思います。
・忙しい環境から逃げる
・忙しさを感じない心境にする
このどちらかです。
要は、外的な環境を変化させるか、内的な環境を変化させるかということです。
忙しい環境から逃げる
こちらは外的な環境を変化させるやり方です。
忙しい状態に置かれると、まずは皆さんこちらを普通は考えますよね。
早く仕事を終えたい。早く楽になりたい。
そういう圧力が高まるからこそ、皆さんは色々な情報を集めに行くわけです。
ただし、逃げるためには受け入れ先が必要になります。
その受け入れ先を作るのには、時間こそかかりますが、やはり確実なのが安定した経済基盤を作ってしまうことです。
忙しいと感じる労働は、その本質が時間と給与の引き換えで成立している以上、安定した経済基盤がなければそこから脱出することはできません。
人によって安定した経済基盤の基準が異なるとは思いますが、私の感覚で言えば働かなくても得られる収入(=不労収入)が一般的な生活+アルファ(娯楽)の支出に耐えうる状態になったときが「ひとまず安定」と判断する基準となります。
これを達成するためには、残念ながら、まずひたすらに労働をするしかありません。
労働が資本家への種子となることは、以下の記事でもご紹介しています。
中途半端に忙しい環境から逃げる行為はお勧めされません。
激務での心労や過労など特殊な場合を除き、休職したりすることはせっかくの自由への時間を先取りしてしまっていると考えられます。
物凄く忙しい環境 → 圧倒的に自由な環境
この遷移を達成することが、忙しさから逃れる1つの手段と言えます。
物凄く忙しい環境で苦心し、ときに泣いた人だけが、労働の外側にある自由な環境から周囲を睥睨(へいげい:見下ろすこと)することができるのではないでしょうか。
忙しさを感じない心境にする
忙しさから逃げることを物理的な行為とすれば、忙しさを感じない心境にすることは精神的な行為になります。
シンプルに言えば、忙しさを忙しさと感じない心境に持っていくのです。
それができれば誰も苦労しないでしょうが、私は以下の方法で忙しさを感じない心境にもっていっています。
それは、
・今日一日やることは自分のやりたいことしかないし、それしかやらない
・大量にある仕事は、すべて自分の糧になるように工夫してこなす
・それらをこなすことによって自由への階段を一歩ずつ上っている感覚を作る
およそこの3点です。
これが、忙しさから逃れる思考法に繋がってきます。
やることはすべて自分を成長させてくれるものでなければいけない
はっきり言ってしまえば、労働は自分の意思でやっているわけです。
他人からやらされていると感じたとしても、労働をするという選択をしているのはほかでもない自分自身です。
ですから、その労働を自分の意思ですべて決められないわけがないのです。
私は、以下の記事でもご紹介した通り、やらなくてもいいことはやらないし、やらくてはいけないことは最短経路で済ますようにいつも思考しています。これが第1ステップです。自分の力で仕事の質と量を調整するのです。
そのうえで、もしもやらなければいけない仕事があるのであれば、そこから自分を成長させてくれるエッセンスを必死で見つけるように思考するのが第2ステップです。
新しい概念があれば、それについて勉強する。つまらない単純作業でも、その質を上げるためのスキルがどこかで身につけることができないかを考える。
例えば、医師はパソコン入力がオフィスワーカーばりにノルマとして存在しているわけですが、多くの医師は入力が極めて遅く、それにより仕事時間がかかってしまっている状態なわけです。
それを、定型文登録や純粋な打鍵スピードを速めることによって倍速で仕事を終わらせてしまうようにする。そのためのスキルがタッチタイピングであったり、ソフトウェアを適切に使うためのHOW TOだったりするわけです。
いかに無益に見えようとも、自分に降りかかってくる仕事は何らかのエッセンスを抽出して成長を続ける。こういう思考が重要だと思います。
第3ステップは、これらを繰り返すうちにどんどん自分の血肉になる思考・知識が付き、労働を重ねることで着実に自由への階段を上っていっているという感覚を身につけるということですね。
こうして、一歩一歩忙しさから逃れる準備をするとともに、自身を成長させることを忘れないようにすると、日々の激務が一変して「倒すと自分を成長させてくれる"経験値"を持ったモンスターたちの集合」に見えます。
どんなに若くても、どんなに歳をとっていても、この「挑戦する」精神は絶対に忘れてはならないものと思います。
忙しさを上手に利用する
「忙しさ」と「充実」は紙一重の考え方です。
あるタスクがあったとして、それを「忙しい」と考えてしまえば、それは忙しくなってしまいます。
一方で、そのタスクを、自分を成長させてくれる・反省させてくれるものと考えてしまえば、同じ内容であったとしても「充実」を感じることができます。
この世に忙しいという確固たる概念はありません。
大概は、自分の心の中に発生する歪んだ視点です。
ですから、「忙しいから無理」という考え方は、否定こそしませんが正解とはいえない考え方ですね。
豊かになるためには、忙しい環境でも忙しいと感じず飄々と作業を進め、いつの間にか成長してその環境から身を引いているという状態が理想的です。
「忙しい」と余裕のない人々がごった返している空間で自分も同じ土俵に立って仕事をする必要はありません。
毎日異なる視点を持ちながら、忙しさを充実に変化させ、経験値を積んでいきましょう。