修行は自らに課すもの
今回はちょっとした小話です。
仕事を課されるときに、「これも修行だと思って……」と、他人から言われることはありませんか。修行は、つらいことを堪え忍んでやりぬく厳しいものだという意味で捉えられていますが、その意味こそ正しいとは思いますが、私は「修行は他人から強制されてやるものではない」という風に考えます。
仕事が始まったばかりの人たちは右も左も分からずにさまざまな難事にあたるわけですが、その大変さを「これも修行のうちだ」と自分で考えて、しっかり耐えようという気持ちが起きるのはとても素晴らしいことだと思います。
しかし、たまに、上司や他人から「この時期は修行の時期だからねえ」と言われるときがあります。あるいは、「修行だと思って頑張って!」などという言葉も聞かれるかもしれません。あなた自身が他人に対して言ったことも、もしかしたらあるかもしれませんね。
どんな仕事の内容でも、それが自分にとって有益で、そして堪え忍ぶ価値のあるものは、自分で「修行」と決めてください。そして、やったら最後までやりきることです。そのおまじないとして修行という言葉を使う。
逆に、外から与えられた仕事は修行と考えない方が良いように思います。
したくないことをすることは決して修行ではありません。自らの心がなにも磨かれないからです。つまり、ただの義務と同じなわけです。それを外から強制的にやらされ続けているならば、なるべく早くにそういう環境を脱する必要があると思います。
やりたいかどうかが判断の軸となる
義務→修行への転換は、自分が「やりたい」かどうかです。
あなたにとって修行となることは何でしょうか。自分にとってなにか意味のあることが得られる限り、辛かろうが難しかろうが、挑戦する価値はあります。やみくもに目的も分からず仕事をこなしているだけの状態は修行とは言いません。自分にとって大事なことで、やる価値のあるものをきっちり決めて、そこから修行と思って頑張るのです。
もしもいま、何か大事なことをしていて、不安になったり挫けそうになったら、それが自分にとって大事なことなら「修行」、それ以外は修行ではない。そう考えて、物事の優先順位をはっきりさせましょう。