「真面目」とは何か
読者の方々は、色々な性格をお持ちのことと思います。
それは、自分が考えている「私はこういう性格だ」という主観的なものから「人から良くこういう性格だと言われるんだよね」という客観的なものまで、性格というのは本当に十人十色で掴みどころがないものです。
そんななかで頻繁に言われる言葉の中に「真面目(マジメ)だよね」というものがあるのではないでしょうか。
「真面目」という言葉の中には、例えば「人づきあいが少なくてすぐに家に帰る」人であったり、「受け答えが真摯でいかにも勉強している感じ」な人であったり、その言葉にも様々な意味が含まれていますね。
ややもすると、「真面目」という単語の中には、マイナスなイメージが含まれていることさえあります。「君はまじめだねえ」という上司や同僚からの言葉だったり、異性から「えっ、まじめなんだね……」というように。
本来であれば、
まごころを込めること。誠実なこと。
というプラスなイメージであるはずなのに、現代ではなかなか正直に用いられることは少ないような印象があります。
皆さんも一度はそういう風に言われたことがあるかもしれませんし、反対に「あいつはまじめだから」と評する立場にいる方もいるかもしれません。
いったい、「真面目」とはどういうことなのでしょうか。
自分の人生に大真面目であれ
いわゆる真面目な人も、真面目でない人も、人生を送る中で唯一「真面目」でなければいけないことがあります。
それは、「自分の人生に対して "真面目" であること」。
性格が真面目であろうが、いい加減であろうが、それはあくまでも人が決めることでもあり、ましてや自分が真面目か真面目でないかなんて決められるわけがありません。
ただ、どんなに剽軽(ひょうきん)な人間と言われようが、どんなに内向的な人間だろうが、自分の人生に対して真面目であることを忘れてはならないと思います。
自分の人生を真面目に生きていると自分でプライドを持っている人は、むやみやたらに人の性格のことをとやかくは言いません。
自分と同じくらい、自分の人生を真面目に生きていると思う人と引かれ合うことはあるかもしれません。
しかし、いかにも「あまり自分の人生に真面目そうじゃないな」と感じる人は、その付き合いもうわべのものに終始してしまうのではないでしょうか。
人生を真面目に生きることとは、自分さえよければ他人はどうでもいいということではありません。
決して他人に迷惑をかけず、淡々と自分の人生を丁寧に過ごそうと努力する、その気概のことです。
自分が真面目に生きることで、初めてほかの人に何かをしてあげることができる。
皆さんが幸せにしたい人は、恋人だったり、親だったり、子供だったり、様々ですよね。
そういう周りの人々に何かをしたいと思うのであれば、まず自分自身が自分の人生に責任をもって真面目に生きることだと思います。
真面目のすすめ
「まじめだね」そう言われたっていいんです。他人からしてみたら笑い話のように「くそまじめ」に自分の人生に体当たりして考えることのできる人は、とても輝いて見えます。
几帳面にならなければいけないわけではありません。自分の人生の送り方を、自信をもって他人に言うことができるか。そこが「真面目」の本質だと思います。
あまり善良すぎることをするのはおやめなさいよ。少し気楽に、自然に、そして意地悪になさいな。一生に一度くらい、少し悪者になってみるのも、案外いいものよ。
『ある婦人の肖像』(下), ヘンリー・ジェームズ著, 行方昭夫訳, 岩波文庫, 1996年
真面目に生きる人にはきっと良い縁が訪れます。そのいしずえを作るためのお手伝いを少しでもできればと思います。