挨拶の本当の意味とは
皆さんは「挨拶(あいさつ)」という言葉はご存知かと思います。朝起きたときの「おはようございます」やお昼どきの「こんにちは」、仕事が終わって「お疲れさまです」「ご苦労様です」など。挨拶の中身は色々ありますね。
そのときどきに応じて挨拶の言葉を使い分けることはもちろん皆さん誰もができることでしょう。ですが、挨拶を本当に使いこなせていらっしゃるでしょうか。
挨拶の本質を分解してみると、次のようになります。
挨く(ひら-く)/挨す(お-す)
拶る(せま-る)
2つの文字は、どちらも「本質に迫る」という意味でとらえていただいていいと思います。では、何の本質に迫るのか。
それはずばり「挨拶をした相手」です。
挨拶をするためには必ず相手が必要ですね。挨拶をした相手が、どのような反応を返すか、その瞬間で相手の心を「ひらき」そして本質に「せまる」。「おはようございます」「こんにちは」という言葉は、あくまでも手段であって、その挨拶を使うことにより相手に迫るようでなければなりません。
よく、すれ違うときに何を話しているのかよくわからないもやもやとした返事を返してくる方、あるいは、挨拶しても無言で通り過ぎてしまう方もときおり見かけます。
もちろん、向こうには向こうの事情があり、とても忙しくて挨拶などできない心情があったのかもしれません。ですが、それは非常に残念なことです。どんなに綺麗に・かっこよく着飾っていたとしても、どんなにかっこよく・かわいくいても、その瞬間の挨拶で本質がおよそ解ってしまう。
挨拶に心をこめる
挨拶を「大きな声で」すればよいというものでもありません。ここが挨拶の大変難しいところなのです。ただ声を出して「おはようございます」や「こんにちは」などの発声をしていれば安心、というわけではない。その言葉の中に自分の心を入れる作業を加えていかなければなりません。
心を入れるということはどういうことか。これは、本当に挨拶をしたい相手に挨拶をすると自然とでてくるものを創造してください。例えば、その声音や顔の表情、身体の向きなど。とてもお世話になった恩人にすれちがったときに無機質な「おつかれさまでーす」なんて言葉はかけられませんよね。「いつもお世話になっています」と、お辞儀すら自然とでてくるのではないでしょうか。それを、すべての人にすることができないのはなぜでしょう。
心を入れるという作業は簡単ではありません。なぜなら、そもそも自分の心の豊かさが積み重なった結果の表れが「挨拶」だからです。普段から居丈高な口調で話をしたり、友達同士で大した挨拶もしなかった人が、突然かしこまって挨拶などできるわけがありませんね。ですから、挨拶をするだけで、初めて出会っただけでも「この人はこういう人生を歩んできたのではないか」と想像がついてしまうのです。
挨拶はひととなりを表す
どれほど特殊な職業であっても、どれほど地位が高くても、挨拶がダメであればすべてダメといっても過言ではありません。逆に、挨拶がきちんとしている方であれば、心の中は職業や地位によらず豊かさを湛えているのではないでしょうか。
挨拶は、もはや靴を揃えるのと同じくらい簡単にできる反面最も難しい一つの行為なのかもしれません。 挨拶という行為がどれほどの重みをもっているのかを考えたことがない人でないと、きちんとした挨拶はできないものです。
もし、この記事をご覧になった方で「そういえば、日頃からあまり挨拶をしていないな」とか「仕事が忙しくてついつい無機質な声音になってしまっているな」など思い当たる節がある方は、ぜひ、今からその癖を直してみてはいかがでしょうか。
普段気を遣っていない挨拶、もしかしたら色々な人からあなた自身の挨拶が見られて評価されているかもしれません。高いスーツを着たり、毎朝一時間かけてするお化粧より、一瞬間の「おはようございます」「お疲れさまです」を充実させてみませんか。すべてはそこからはじまります。