多趣味であることの楽しさ
私は、自他ともに認める多趣味な方の人間です。
医師でありながら、実際に文学も大好きですし、実は娯楽も大好きです。
娯楽はインドアからアウトドアまで幅広く、
インドア:料理、DIY、筋トレ、ボウリング、ダーツ、ビリヤード
アウトドア:旅行、サイクリング、ジョギング
など、それぞれにグッズを揃えて、「それなり」に楽しめるレベルまで高めているところです。
医師は非常に特殊性の高い職業で、油断するとその領域以外の視界が完全にシャットアウトされる危険性があります。
もちろん、勉強する才能というのが医師には求められます。
しかし、「遊ぶ」才能というのも医師には絶対に必要と思うのです。
もちろん、すべての方に言えることですが、「遊び」が足りない人間は面白くありません。
話をしていても、非常に狭い領域でしか話ができないから堂々巡りしてしまうのです。
様々な業界の方々と話をするときに、多趣味性は非常に効果を発揮します。
そして、話題も雰囲気も彩りがあり、魅力を感じることもあります。
コミュニケーションを円滑にするためにも、多趣味であることは有効です。
最近になって、私はブログをも始めましたが、これも読書週間と「モノを書く」という行為がもともと好きだったことの集大成だと思っています。
私は、多趣味であると同時に、器用貧乏と感じることも少なからずありますが、それに関しては以下の記事でも考えています。
【勉強×投資×健康】パワーカップルが豊かな人生を目指す
趣味は、結局は自分自身の人生を豊かにするという目的で存在すべきです。
自分の内的な成長を助けてくれる存在として、趣味を位置付けています。
しかし、最近では趣味の方向性も若干変わっているように感じます。
趣味は、持たなくてはならないものなのか?
よく、「趣味はあった方がよいのか」という言葉を聞きます。
もちろん、先述の通り、話のバリエーションや自己の内的な成長を遂げるためには、趣味は一つの方法として存在するでしょう。
しかし、趣味は「持つべき」ものではありません。
趣味の意味合いについてもう一度確認しておきましょう。
趣味(しゅみ)
(1) 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。
(2) どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。
(3) 物事のもっている味わい。おもむき。情趣。
私たちが趣味という言葉を使うときは、たいていが(1)の意味です。
そこには、堂々と「仕事・職業としてではなく」と書いてあります。
それに、(2)の意味を考えてみると、個人の感性が向く方向にのみ趣味が存在するように感じませんか?
「趣味の一つや二つあっていいじゃないか」と他人から言われるとき、発言した人は趣味の本質的な意味合いを理解していません。
ですから、無趣味であることを気にすることはないのです。
むしろ、「無趣味」ということそのものが存在しないと考えてよいでしょう。
「趣味を見つけなければ」と考えていきつく先は、たいてい趣味の種類の検索です。
もちろん、たくさんの趣味がありますから、もっと積極的に新しい視野を獲得したいと考えたときにそういう検索は有効かもしれません。
しかし、「趣味が欲しい」と考えて検索した場合は少し状況が異なります。
趣味がないのが嫌だから、一つでも何か趣味と言えるものを持とう、と考えて調べる意味は、あまりないと思うのです。
趣味を義務でやるのは仕事と一緒
はじめは趣味を楽しいと思ってやり始めた。
しかし、やっていくうちに他のものにも興味を示すようになり、せっかくグッズは揃えたけれども、あまりやる気にならない。
そういうときに、漫然と趣味をやっている方も少なからずいらっしゃいます。
趣味は義務感を絶対に入れてはいけないものの一つです。
義務感でやっている行為の代表格は仕事ですが、趣味を義務でやり始めると、それは仕事とまったく同じになってしまいます。
せっかく仕事が終わって、趣味の時間を作ることができたのに、その趣味の時間すら義務感でやっているのであれば、24時間仕事をしているのと同じようなものです。
私も、趣味・副業としてブログを始めましたが、今の今まで一回たりとも「義務」を感じたことはありません。
それは、もともと自分が書くことが好きだったからです。たまたま、それを応用するプラットフォームが存在したから、それを十分に利用して書いているだけです。
例えば、仕事が終わったときに「ブログを更新しなければ」と考えパソコンに向かった瞬間はどうでしょうか。
その時間は紛れもなく「仕事」の時間です。ノルマをこなさなければならない。義務感に追われて、作品を納品するようなものです。
仕事は時給換算で質が決定しますが、趣味の世界はそういう意識がなくなります。
【副業の楽しさ】義務感に囚われない自由がある【時給意識がなくなる】
もう一つ例を挙げると、「お酒」を趣味にされている方もいらっしゃるでしょう。
毎日仕事が終わった後の1杯のビールが待ち遠しいですよね。
私もお酒は大の趣味として勉強したり、外に出向いて飲んだりしていますが、これを義務感のうちにやっている方はそういらっしゃらないと思います。
「お酒を飲まなければ」と考えている人は、本当に依存症である可能性が高いですからね(笑)。
そう考えると、すべての趣味は「ああ、やりたいなあ」と考えられるものでなければならないと思いませんか。
そういう風に考えられないものは、趣味として認識すべきではないと思います。
ぜひ、「やりたいなあ」と思える物事を探してください。
ただし、探すときにはもう一つ注意したいところがあります。
趣味は型にハマったものであってはいけない
趣味は、目を皿にして探すべきものではありません。
よくいう「趣味は読書です」という言葉にも、様々な思考を見出すことができます。
せっかくですから、「読書」を例に挙げて考えてみましょう。
まず、そもそも読書というのは、何を指すのでしょうか?
文豪の書いた純文学を読むことが読書なのでしょうか。
あるいは、経済学書やビジネス書を読破することが読書なのでしょうか。
外国語文学の超長文を読むのが趣味としての読書なのでしょうか。
それ以外は、読書ではないのでしょうか。
私は、「読んで楽しい」と思うことすべてが「趣味としての読書」だと考えます。
漫画を読むこと。これは立派な読書です。
ノベルスを読むこと。これも立派な読書です。
図鑑や辞書を読むこと。写真集を見ること。旅行雑誌を読み耽ること。すべて読書です。
読書の本質的な意味合いは、そこに「楽しさ」という自分本位の考え方が混ざっているかどうかだと思います。
「趣味は読書です」といったときに「どういう本を読むのですか?」と問われることがありますね。
たいてい、そういうことを聞く場面は面接だったり初対面のときだったりで、相手のステータスを推し量りたいときに使う文言です。
私からしたら、読書をしている限り、どういう本を読むかは関係ないのです。
そこに、自分の楽しさや気持ちがきちんと重なっていればいいのです。
ですから、「趣味は読書」と言っても、なにも純文学の難しいタイトルの作品を挙げなくてもいいのです。
そして、思っている「読書」と違っているからといって、その人のことを低く見ることもあってはならないわけです。
逆に、「漫画をよく読みます」と言われたときに、自分に漫画をたくさん読み、それに対する蘊蓄がたくさん出てきて会話が成立する方が楽しくないですか?
読書をするにしても、多方面の読書は必要と思います。それは、たくさんの人の、たくさんの形の「読書」を知ることができるからです。
一つの読書しか知らず、それを唯一の「読書」と考えていたら、趣味としての読書の話が成立するわけがありませんよね。
たくさんの読書を知っているからこそ、「趣味は何ですか?」と聞き、「読書です」と返ってきたときに、相手の力量を推し量る意味で「何を読まれますか?」と聞くのではなく、純粋な興味として「何を読まれますか?」と聞くことができます。
相手の読書の世界を知ることで、さらに自分の趣味の世界が広がっていく。
これが趣味の面白いところなのではないでしょうか。
趣味を持っていることはステータスでも何でもありません。
ましてや、相手の性格や地位を決定する要素でもありません。
趣味は、自分が満足できるものですることです。読書なら読書で「型」に嵌めてはいけません。たくさんの「読書」があるから、趣味としての読書が成立するのです。
義務を感じない趣味を見つけられたら、人生は豊かになる
仕事は一生続けるべきものではありません。
ましてや、何も行動しなかった場合には、一塊になった一艘の船が徐々に沈没していくような日本です。
仕事をしていれば安泰という時代は二つの意味で終焉を迎えました。
仕事以外にも生活の質を高める行動をする必要がある
仕事以外に「人生の楽しさ」を求める必要がある
前者は、仕事だけしていれば資産が作れるといった過去の考えから脱却する必要があるということを示しています。
後者は、仕事が自分の人生を豊かにしてくれない=楽しいものでないという状態になりつつあるということを示しています。
こうなったら、仕事を早期に脱却し、趣味に没頭するしかありません。
本当の豊かさは、そういう「趣味性」の中にあるような気がします。
仕事そのものが趣味になれば、それは非常に理想的なことです。
しかし、すべてがすべてそういう風になるとは限りません。
まずは「義務を感じない」「自分がやっていて楽しい」という当たり前の感情を抱くことのできる趣味を持てるようにしましょう。
自分の考え方一つで、今まで一瞥もくれなかったものが「趣味」に変わることもありますよ。
何かのご参考になりましたら幸いです。