はじめに
「付和雷同」という言葉があります。
自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にする同調すること。「付和」は定見を持たず、すぐ他人の意見に賛成すること。「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の言動に同調すること。
「あっちの意見がよさそうだから」「こっちの言うことも賛成だ」など、大なり小なり、皆さんにはそういう経験をお持ちのことと思います。
特に、情報が多いこの昨今において、テレビだけではなく、Youtubeをはじめとした動画メディア、TwitterやFacebook、InstagramなどのSNS、もちろん一般書籍もそうですが、とにかく様々な情報が飛び交うようになりました。
最近の特徴は、「その道の大家」の発言よりも、上記に挙げたようなメディアからの何気ない一言が突然、大人気になることもしばしばあります。
インフルエンサーという言葉が出現したのもこの影響でしょう。
そう考えると、昔に比べて色々な情報の良い点や悪い点を吟味する必要が多くなったように感じます。
結果として「あの人はこういっているけど、この人はこういっているし……」と、一つの物事に対して何を正解としたらいいかわからなくなってしまうことも多いのではないでしょうか。
そこで、付和雷同に陥らないようにするシンプルな行動や考え方を考えていきましょう。
人と同じことをしないという気持ちを持つ
そういうルールを決めてしまうことです。決して、他人の意見に対して天邪鬼になる必要はなく、「あ、この人の考え方よさそうだな」と思った瞬間に「いや待てよ」と一歩踏みとどまる気持ちを持ちましょう、ということです。
この「いや待てよ」が、新たな自分の独創性を生み出してくれる一歩となります。
それを続けていくと、いつしか周りの人から、あなた自身が何か特別な色をもっているように見られるようになってくるのではないでしょうか。
「〇〇というなら、彼・彼女だね」
というように。
私は医師という職業柄、患者さんへ病気の内容について説明をしたり、治療方針の共有をする必要が出てきますが、多くの医師は極めて多忙でありなかなかゆっくりと時間を取ることができません。
そのために患者さんのほうが遠慮してしまったり、難しい専門用語の中身を詳しく訊くことができなかったりで、消化不良を起こしてしまうこともあると感じていました。
当然、多くの医師がそうしているので、それがスタンダードととらえることもできたのでしょうが、一歩留まり、説明の最中や終わりに「何かあったら遠慮せず、なんでも相談してください」というような声をおかけするようにしています。
高度な内容をどれくらい噛み砕いて患者さんへ説明できるか、というところに焦点を当てて説明するように心がけた結果、例えば紙やホワイトボードに図を描いてみたり、実際にパソコンでその病気のことが書かれているサイトを紹介してみたり、いろいろな形で分かりやすくするように実践してみました。
すると、険しい顔で聞いていらっしゃる患者さんや患者さんのご家族も、たいがい一回で納得して、わからないことがないか問うと「わかりやすかったので、大丈夫です」とお声をいただくことも増えてきました。
これはあくまで一例ですが、自分しかできないようなことを、性格や特技と紐づけて考えてみる。そうすると意外と自分の「特長」というのができあがってきますよ。
勉強するときも「そうか」と納得せずに対案を出してみる
勉強することは、小中高校生であれば参考書に書かれてある事実を「そういうことか」と納得することから始まります。基本ができていなければ、むやみやたらに新しいことなど考えられるはずがありませんからね。
ですが、基本ができるようになったときに、例えば理系の問題であればその解法だったり、文系であればそこに書かれている事実の解釈などを鵜呑みにしないようにする、というのも重要です。
どういう風に考えればよいかというと、一つは「私ならこういう風に教えるんだけどなあ」と考えながらすべての参考書を読み講義を聴くこと、です。
この作業を繰り返していくと、いつしかただ真似るだけよりも理解・定着がしっかりするようになってきます。そして、自分なりに教えようとしたときに、「もっと知識を肉付けしないと」と思い他の参考書を読んでみたり、理解があいまいな個所を調べてみたり、どんどん自発的にその事柄について理解を深めようとするようになります。
お子さんをお持ちの親御さんであれば、ただひたすら自分が知っている知識を教えるのではなくて、「逆に、お父さん・お母さんに教えてちょうだい」と言ってみるのはいかがでしょうか。
当然、勉強を始めたばかりですから、教えようとするとなかなか穴があって正しく伝わらない。それを根気強く「これはどういうことかい?」と聞き掘り進めてあげることで、「自分なりのわかりやすい教え方」を短期間で確立するようになります。
「自分ならこうする」という意見を強く持てるようになったとき、それはどの学問に触れあっても十分に吸収する素地ができあがった瞬間と言ってもいいかもしれません。
他人の意見を否定することはしない
ここまでくると、他人の意見を頭ごなしに否定することにも言及する必要がありますね。
「他人と違うことをする」ということと「他人を否定する」ということは似ているようでまったく異なります。
別に、他人の意見を否定する必要などないわけです。
「私ならこうする」ということを、自分の内側で広げていってあげればいい。
もしも、自分のオリジナリティに他人が口を挟んでくるのであれば、その環境から静かに身を引けばよいのです。自分の考え方を曲げてまでそこにとどまっている必要はない。
ただし、「自分らしさ」はときに盲目さを生み出します。絶えず、他人の考え方に触れあいながら、自分らしさを確認していくようにしましょう。
自分らしさを正しく作ることは、簡単なことのように思えて実は非常に繊細で、綱渡りのようなものです。
他人を受け容れながら、自分を確かなものにしていく。これは思考の体力をかなり使いますが、慣れていくうちにその物事についてどんどん深みが増してきます。
おわりに
他人と同じことをするということは、前例をなぞるだけだから思考に負荷はかかりません。
ときには同じことをしているだけのように見える瞬間もありますが、その中身の考え方は異なるものである必要があります。
それを自信をもって説明できるようになるか。それが大きなポイントです。
この私の意見に対して「いや、それは違うんじゃないか。私はこう思うけど」という気持ちを持つことができたら、大正解です。