私はよく皆さんに読書をお勧めしています。
読書をすることはただ教養を身に付けるのみならず、実践できる行動を増やし、人生そのものを豊かにする簡単な方法です。
最終的には、そういう方法によって「自由」になりたい。身体的にも、精神的にも、自由に生きてみたいと思ったのです。
しかし、読書は強制させられて読むものではありません。
自分が読みたい本を、正しい方法で読むことが第一です。
気持ちの赴くままに読書する
こんな言葉もあります。
人間は気持が赴くままに読書すべきものだ。課題として読む本は余りその当人のためにならない。
『サミュエル・ジョンソン伝』 J・ボズウェル
私は、「この本はおすすめです」ということはあっても、「この本を読んでください」ということはしません。
「読まなければ」という気持ちのもとで読む読書は、本当の読書ではありません。
何かの目的を達成したいから、勉強するために読書をするということでもいいでしょうし、読むことそのもので気持ちを明るくすることができるのであれば読書そのものを目的にしてもいいでしょう。
そこには必ず自分の意思がなければいけません。
課題図書を探して読んでも、そこには自分の内側から湧き出る「この本を読みたい」という感覚はありません。
幼いころは読書が訓練にもなりますから、課題図書は一定の効果を発揮しますが、大人になってからは、ぜひ自分から課題図書を設定するくらいの気持ちで読んでみませんか。
自由に読めば長続きする
読書は一朝一夕では効果は見られません。
一日でも長く続けていくことが重要です。
そのためには絶対に義務や強制を使って読書してはいけません。
自由に読むことを心がけることで、内容やページ数に囚われることなく読書する。
そうして少しずつ知識も知恵も蓄えられていきます。
どこかでそういうものたちが結晶になって、自由になるための道しるべが生まれるかもしれません。
私はそう思って、毎日自由に読書をしています。