日本は基本的に年齢でものを考える
日本は、特に年功序列という考え方が強い社会と言えます。
恐らく、それは学生時代からの因習なのでしょう。部活動はその典型例かもしれません。
そして、社会人になってからもそれは非常に色濃く反映されるようです。
職位が上であることと、年齢が上であることは、ときと場合によって重要性が異なってきます。
加えて、最近ではスキルを持っているかどうかというのも重要視されるようになってきましたね。
今までの社会構造は完全に年功序列でした。それは、年齢を重ねるにつれてある程度の経験とスキルが比例して上昇してくる構造だったからです。
会社に長いこと勤めていれば、それなりの技術とそれなりの経験がつくから、長くいた方が有利になる。ある意味で職人の師弟関係のような状態が長く続いていたのかもしれません。
医師の世界でも、同様の考え方が浸透しているように感じます。
さらにその構造は職位によってもかなり影響を受けます。教授だったり講師だったりすると、やはりそれなりに「箔」が付くわけです。当然、年齢も上であることが多いですから、上意下達の関係がかなり強い業界であると言えます。
そんな世界に長らくいると、実際に仕事をしている人間と職位の椅子に座っている人間とで少し「ずれ」が出てくることに気づきます。
どの会社でもそうなのでしょうが、毎日きつい労働をしている若手~中堅と比較して、上層部は少し異なる立場にいることを感じることもあるのではないでしょうか。
年功序列といっても、ただ年齢が上、職位が上であることで序列が決定されるだけのものではないと思うのです。
年齢が上がったとしても、しかるべき能力が備わっていなければ、それは序列として上にいるべきではない。そして、職位が上であるからといって、しかるべき風格がなければ序列として上にいるべきではない。そう思うのです。
年功序列はただの数字の大小関係ではない
年功序列というのは簡単に用いられる言葉ですが、非常に重みのある言葉です。
年齢が上になればなるほど、職位が上になればなるほど、どんどん「磨かれていかなければならない」のです。年功の「功」という文字は、そういう部分を表しているような気がするのです。スキルのない若手が威張ってしまうのもあまりよくはないですが、年齢も職位も上の方が態度も不遜であると、少し残念なように思います。
年の功は、後ろから経験を積もうとしている若い人々に対して効果を発揮するものです。
決して、その場に立ち止まって座っていてよいものではありません。もしも、読者の方が上の立場にいらっしゃるようであれば、そのことを気を付けてみてください。指導をするということと威張るということは決定的に違うということです。
だいたいにおいて、年の功は外に表さなくても自然と「人がついてくる」というかたちで達成されてくるものです。
ただ厳しく教えていれば良いというわけではなく、自分がいままで経験してきた辛いことや苦しんだことなどを教えてあげるという責務があるのです。
もちろん、現在でも上の職位にいて多忙を極める方もいらっしゃると思います。ですが、そのなかでも下の立場にいる人を気遣ってあげなくてはいけない。そこには、例えば「俺は厳しくされながら叩き上げられてきたから同じようにする!」などという、おのおのの「ポリシー」を含める必要はないのです。
年功序列の構造のなかでは、下の人たちから恭しくされるということもあります。しかし同時に、自分がそのときにどういう態度で出るのかということも、また多くの人から見られているものです。
私は上の人と下の人とに対して使う態度が異なる人はあまり良い印象を持ちません。
年の功を上手に使う
年を取って職位が上がることはもはや当たり前のことなのですから、そこから先の人間としての魅力をどういう風に捉えていくのかを考えていくのが良いのではないでしょうか。
ぜひ、現在の自分の立場がどういうものなのかを振り返ってみてください。
いろいろなことができるようになって、少しだけ天狗になってはいないでしょうか。
あるいは、昔自分ができなかったことを棚に上げて、下をついてくる方たちに厳しく当たっていないでしょうか。
自分が通ってきた道は、他人も通る道なのです。
過去の自分の気持ちを忘れないようにしながら、「年の功」を上手に使っていけたらいいですね。