最近、感動したことはありますか
「多感な時期を過ごした」というように使われる「多感」という言葉があります。
ちょっとしたことに感情を動かされること。
意味を調べてみるとこのような表現がされていますが、これは少し「外からの影響を受けやすい」という意味でとらえられてしまう可能性がありますね。
私の考える本当の「多感」とは、いろいろなことに気持ちを動かされ感動することです。つまり、小さなことにも感情を呼び起こし、それが「嬉しいな」とか「悲しいな」という色付けで感じることができることです。
考えてみれば、皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか。
例えば、今考えてみると「なんでこんなものに熱中していたんだろう」と思ってしまうような漫画やゲーム、「なんでこんなにアツく語ってたんだろう」と恥ずかしくなってしまうような昔の作文や日記など。昔はちょっとしたことも楽しく感じられ、ちょっとしたことでも機嫌を悪くしていた時期があったのではないでしょうか。
一般的に言えば、冒頭の「多感な時期を過ごした」瞬間というのは思春期に相当するところでしょうか。物心がつき始め、いろいろなものを見聞きし感じて吸収していく、そういう時期ですから、多感なのは当然のことです。
両親に反抗し、友人と喧嘩し、「勉強なんて」と豪語してみたり、常にそこにはうねるような「感情」があったのではないでしょうか。
それが、大人になってくるとどうしても色褪せてくるように感じませんか?
昨日と今日の自分はそんなに大きく変わっていないはずなのに、10年間経つと「だいぶ変わってしまったな」と感じてしまう。そして、いつの間にか昨日も今日も同じ気持ちで見ていたはずの漫画や本、作品などを「なんでこんなものに熱中していたんだろう」と感じてしまう。
それは、とてももったいないことです。大人になったからと言って、別に熱中していけないわけではないのです。むしろ、大人になってからこそ、何かに熱中して、「私はこう考える!」ということをアツく語らなければなりません。
感情のうねりをそのまま感じてみる
どうしても、社会に出ると、今までとは異なり色々な知識がつき、周囲の目を気にするようになり、守りへ守りへ入っていってしまう。自分が好きなものを他人にアツく語る力が徐々に弱っていってしまう。
これが、大人になったときに感じる「大人になったなあ」という感覚なのです。ある意味で成長していることを実感できるのかもしれませんが、感情の豊かさが少しずつ褪せていくことに気づきません。
例えば、音楽を聴いて、歌詞やメロディーに没入してみる。その世界を実際に体験する気持ちで一曲一曲を全力で聴いてみる。そのときには涙を流すこともあるかもしれません。誰かに会いたくなるかもしれません。その瞬間が、昔味わった感情の奔流の原点なのだと思います。
本や漫画であってもかまいません。少年漫画のバトルシーンで心臓の鼓動が早くなるのを味わってみてもいい。誰かが亡くなってしまうシーンでは、そこに没入して涙を流してもいい。告白シーンなどで少し胸のあたりが甘酸っぱくなってもいい。とにかくその世界に自分の感覚を投げ入れてしまう。
美術館に行って、好きな絵画を眺めてもいい。そのときに鳥肌が立ったのなら、その瞬間があなたにとって感情が揺れ動いたときです。その感覚をとにかく大切にする。「よかったなあ」としみじみ感じる。
大人も子供も関係なく、全力で感動する
大人になったから、と諦めずに、昔好きだった本や音楽をひもといてみませんか。もちろん、新しい趣味を見つけて「これ、楽しいな!」とはしゃいでみてもいい。
そういう目線で、これからは情報に触れあってみるのはいかがでしょうか。ただ漫然と本を読み知識を付けようとするのではなく、「この文章は面白いな」とか「かっこいいこと書くなあ」と感心してみる。映画を見るにしても、なんとなく最新作だから、とか、好きな俳優が出ているから、ではなく、「この映画のワンシーンに遭遇できたらどれだけ楽しいだろう」「こんなかっこいいヤツになれたらいいなあ」など、子供じみた高揚感を味わってみる。
逆に、お子さんがいま多感な時期を過ごしているのであれば、それを十分に最大化できるように環境を整えてあげましょう。心行くまで感動させてあげる。そして、それを色々な行動へのモチベーションに変化させてあげる。これが最も自発的に子供たちが学習する意欲を高めてあげられる方法なのではないでしょうか。
そのためには、大人でさえ子供たちと同じように新鮮な感情を持ち続ける必要がある。教育はただ教えるだけではなく、自分から育つための原動力を高めてあげることにも面白さがあります。
私たちの創造力は、そういう感情から生み出されるものだと思います。
早速、お気に入りの音楽や本を探しにいきましょう。
そして、自分だけの時間で思いっきり感動してみましょう。