毎月お給料が振り込まれるということ
給与は一般的に1か月に1回振り込まれるものです。一般的には(職業にもよりますが)正社員に対しては25日が最も多いのではないでしょうか。
5の倍数が「五・十日(ご・とおび)」と呼ばれよく給与の振り込まれる時期に当たりますが、月末最終日が給料日になることもあります。
私は収入源が複数個ありますから、給料日は一か月のなかで複数出てきます。これはこれで間断なく振り込まれるような気がしてお得な気はしますね……。
25日が土日にかかる場合はそれよりも前に振り込まれることが多いですので、今月の給与は8月とするなら23日に振り込まれることになります。
本日も給与が振り込まれました。午前10時までに引き出せなければならない(労働基準法によって定められています)ので、午前中に出勤し、連動しているアプリを覗いてみると給与が振り込まれたことが分かります。
これを、自動的に資産運用に回していきます。
給料日を待つという恐ろしさ
「待ちに待った給料日」とよく言いますね。
私も、働いているとついつい給与が振り込まれる瞬間を待ち望んでいるところがあります。
安定して1か月に1回給料が振り込まれることは、非常に良いシステムのように思えます。
一方で、25日なら25日を基準にして、給料日とそうでない日の色が変わって見えてしまうことが恐ろしい。
「まだ給料日まで10日もある……」と考えているとき、自分自身の精神は落ち着いているでしょうか。
多くが消費に回ってしまう人にとっては給料日は生命線でもあるでしょうし、給与の一部を貯金や資産運用に回している方は大切な買い増し資金になるかと思います。
その成果が1か月に1回しかやってこないというのが、我々を給与体系の中に陥れる罠ということも言えます。
刺激は頻繁でない方が都合が良い
すべてにおいて言えることですが、生理学的にもある程度刺激が間隔を空けて入ってくる方が印象に残りやすいという現象はあります。
記憶を司るメカニズムには、「複数回の刺激」が記憶力向上に効果的であるという構造があります。
よく言われるのが「授業を聞いたらその日のうちに復習→1日後に復習→3日後に復習→1週間後に復習」と間隔を空けながら繰り返すことで、頭の中に確実に残すという記憶法です。
1日のなかで何回も繰り返して復習するよりも、間隔を空けて復習したほうが記憶が定着しやすいということが知られているからです。
それと同じで、毎日が給料日であればどこかありがたみもないですし、その単価が低ければ、毎日が不満の連続となりいつしか転職したり辞めたりというような選択を考えてしまうかもしれません。
1か月に1回という頻度で給料が振り込まれることで、「そういえば今日は給料日だな」ということが思い起こされ、容易にその環境から抜け出せなくなってしまう可能性があります。
労働者は毎月の給料が振り込まれるのを心待ちにする一方で、水面下では、資本主義社会の構造が毎月の給料を振り込むことで労働者がそこから逃げづらくなるようになっていると感じます。
給与は、1か月の人生を保障しているだけ
皆さんはバイトでも、正社員でも、月に数万円~数十万円の給与を手にしていると思います。多ければ数百万の方もいらっしゃるかもしれません。
ところで、この給料はどのようにして決まっているのか。
もちろん細かい調整や影響はありますが、大雑把に言って
労働者の1か月分の人生を保障するに足る額+α
ではないかと思っています。
労働者は1か月生活するために、住宅費(家賃)やライフライン(水道・光熱費)や食費、服飾費、通信費などがベースで必要になってきます。
それに加えて、ただ生活するだけでは牢獄と同じですから、そこにちょっとした娯楽の要素がある。遊びに行くも良し、外食するも良し。これが「+α」の部分です。
こうして1か月の間に生活に必要な額とリフレッシュに必要な額を「ふつうに」フルで使い切ると給与が消失するようにできています。
いわゆる高給取りの職業は、給料は高いですがこの2つの変数(生活に必要な額&心の健康を保障する額)も高いです。求められるスキルやストレスが高いからです。
つまり、自分が労働環境に身を置いているときに、雇い主から自分自身の労働者としての価値は給与の多寡で決まっているということができます。
あくまでも「労働者としての価値」です。個々人の性格や人生観などはまったく関係ありません。労働者が、明日も明後日も元気に働いてくれるような額を支給するのが給与だと感じています。
貯金するのはそもそも難しい
ですから、そもそも節約して貯金をするという行為は非常に難しいのです。
なぜならば、貯金するほどの給与をもらっていないから。
なぜかお金が貯まらないという人は、恐らく労働者としての自分の価値に見合った給与をそのまま使っているからです。
貯金をするということは、そこに余裕を持たせなければならないために、先述のどちらかの変数の値を下げる必要が出てきます。
これは毎日のストレスに繋がってしまうので、なかなか実践しようとしてもしきれないところがある。
そうすると、いざ貯金しようと思ってもできなくなってしまいます。
簡単に貯金できるようであれば、全員が全員豊かになってしまいますからね。
それでは労働者は労働者として動けないわけです。
適度に資金不足という拘束力があるから多少のストレスを抱えていても労働することができる。
給料が振り込まれるたびに、そのことを感じます。
よくよく考えてみると、恐ろしい呪縛です。
解決する選択肢は「労働以外の収入を作る」ということ
ここから脱却するためには、もはや労働からの収入以外に頼るほかありません。
皆さんは、雇い主から客観的に評価された「労働者としての価値」以外の価値をたくさん持っています。それが、労働に使用しているスキル以外のスキルだったり、趣味だったり。
これが労働環境では評価基準から除外されるのであれば、どこかで評価されるようなところを見つければよい。
労働以外の収入が太い人たちは、こういうところを伸ばしていっているのではないでしょうか。
毎月の給料のために生活をしている感覚から抜け出すためには、まず自分がそういう「給料牢獄」の中にいるということを自覚する必要があります。
仕事をして、その給料をパーっと使って、いろいろなものを買って……そういう人たちも多く見ます。その瞬間は楽しいかもしれませんが、労働をしているときはどうしても1か月に1回のご褒美を待たなければなりません。
これが延々と繰り返され人生が終わるのはもったいない。
私はそう思って
・給与(とその他の収入)を増やす
・支出を減らす
・運用額を大きくする
上記を実践しているところです。
はじめは、「自分の生活と精神の健康の維持に必要な最低限度額」としての給与からさらに節約することがストレスに感じるときもありました。
ですが今は、習慣化されることによりむしろみだりに物欲が発散することがなく、「欲しいものをを狙い撃ちにする眼」が育ってきたように感じています。
資産が徐々に増えていくのを数字で見ると、「これに気づかなかったら……」と少し背筋が凍るのを感じます。
給与依存体質を見直す
このようにして、いつの間にか我々は無自覚のうちに給料に生活を依存するようになっています。
そこから抜け出すためには、自分の資産に自分の生活を依存させるほかありません。
それを可能にする道が、例えば副業であったり、資産運用だったりするわけです。
何かに怯えながら仕事をして、給料をひたすらに待っているような毎日を送る……自分の顔を鏡で見たときに、毎日やる気に満ち溢れているでしょうか。
もし少しでも現状の生活に違和感を覚えるのであれば、給与依存体質になっているかもしれませんね。
自分の価値が、給与だけで表されるのではなく、色々な方面から評価されるようになること。本ブログではそれを目指していきます。