よく言われることですよね。
若い方々にしてみれば、こんなことを上から言われたら頭にくると思います。
その実、私もこの格言に対しては若いころに相当反感を持っていました。
「それって結局、上の人間が下を働かせたいための方便なのでは?」
そういう考え方もあるかもしれません。
ですが、この格言には別な視点から見てみると案外悪いことは言っていないなということがわかります。
今回は「若いときの苦労は買ってでもすべきなのか」ということについて記事にしてみました。
結論から言うと「すべき」となります。
今回はちょっとした読み物系です。
ぜひ皆さんの「奮起」の起爆剤として使っていただければと思います。
苦労はプラスの経験にしかならない
思い返してみてください。今この記事を読んでいる方々で生まれてこの方「苦労をしたことがない」という方はいらっしゃるでしょうか。
もちろん、苦労を苦労と思わず勉強や仕事をすることができていることはとても素晴らしいことですが、振り返ってみたときに「ああ、あのときは苦労してたなあ」と考えることも多いのではないでしょうか。
苦労したことを憶えているということは、その内容が経験として形になっているということです。
勉強や仕事がうまくいかずに悩み、どうしたらいいかわからず右往左往して方法を考えていた。その瞬間は振り返ってみるとまさに苦労の瞬間です。
毎日悩んでいる中で「ぜんぜん前に進まないじゃないか」と、歯痒い思いを過ごした瞬間も、苦労のうちに含まれます。
「あのとき苦労をしたから自分はこんなに悪くなってしまった」なんて考える人はいませんよね。
一方で「あのときの苦労があるから今の自分がある」ということはあるのではないでしょうか。
若いころに苦労をするというのは当たり前のことなのです。
だって、「はじめて」のことばかりなのですから。
一番意識しておかなければならないのは、
「いまその瞬間に自分が成長していることがまったく自覚できない」
という点です。
苦労は人生を彩る思い出になる
皆さんは、うまくいかなかったことや失敗したことの方をよく憶えているのではないでしょうか。
人間は不思議なもので、マイナスな結果を重く捉えて、プラスの結果を早々に忘れ去ってしまうものです。
それもそのはず、人間はマイナスな点を改良することで進化してきたからなんですね。
そして、その改良している瞬間が、とてもいい想い出になる。
思い出してみてください。例えば受験勉強や習い事、大人になるにつれて部活や就活、社会人になってから大きな仕事や資格試験……数えだせば立ちはだかる壁は無数にありますが、皆さんが節々で思い出す「壁」は、グンと成長した時期だったのではないでしょうか?
もし、受験勉強のために塾で嫌というほど勉強していなかったら、もしかしたらこんなに色々なことを知らなかったかもしれない。
習い事でいろいろと怒られていなかったら、なんのスキルも考え方も身につかなかったかもしれない。
仕事で簡単なものばかりこなしていたら、達成感も何も生まれずただ時間が過ぎていってしまっていたかもしれない。
皆さんが辛い思いをして苦労しているならば、それは十年、二十年と経ったときに必ず綺麗な「想い出」になります。
ですから、その時期を決して無駄にすることなく、例えば日記に書いてみたり、ここぞとばかりに知識やスキルを身につけてみたりしてみましょう。
過去を振り返ったときに苦労がたくさんある人は、お話もとても面白くて、つい聞き入ってしまいますね。
私は禅の発想に関心を持っていますが、禅の本質から学べることは、「ひたすらに今を見続ける」ということことです。
そのために、公案に無心に向き合い、ただただ坐り続ける。
敢えて自らそのような苦労を全力でしにいっている。
修行は毎日が苦難の連続なわけです。ですが、それを一切ものともせず、「そういうもの」として過ごしている。
そういうお坊さんのお話がスッと耳に入って、思わず手を合わせたくなるのは、当然のことですね。
彼らはきっと、毎日が素敵な想い出として残っていると思います。
「ああ、今日も好い一日だった」と思いながら毎日を送っていく。そうであれば、毎日苦労をすることなんて何ともありません。
苦労は形のある財産にもなる
想い出が無形の財産ならば、苦労はその瞬間に有形の財産をも作ります。
若いときにたくさん働き、勉強をしてたことは、歳をとってから同じようなことをするのとでは比較にならないほど大きな資産を作り上げます。
若いときに苦労をすることは、将来の種をたくさん蒔くことと同じです。
その時点では自分が何をしているのかわからないかもしれませんが、あとから育った作物を見ていると、自分がいかに昔苦労をしてきたのかがわかるかもしれません。
種を蒔くことはとても大変ですし、育つのを見守るのも、また一苦労です。
ともすれば「もういいや」と投げ出してしまいたくなる気持ちも、わからなくはありません。
ですが、せっかく始めたことなのですから、大きくなるまで気長に待って、育つのを見届けてから判断するのでも、遅くはないですよ。
それを耐え忍んで頑張った人に、五穀豊穣の素晴らしさがわかるのではないでしょうか。
買ってでも苦労をするべきかをよく考える
買ってでも苦労をすることは、その買値以上の価値がある場合に限ってです。
むやみやたらに働くことがいいわけではありません。
自分にとって想い出になり、そして将来のための財産になる良質な苦労を選んで、しっかり打ち込んでいくという姿勢が重要です。
繰り返しになりますが、「つらい」と感じている今は、ぐんぐん成長している時期です。
そして、そこを抜け出して少し楽になったら、さらに上を目指す苦労を探しに行きましょう。
いつの間にか、苦労を苦労と思わず、知識や経験が積みあがっていきますよ。